2013年の記事でとても印象的な記事があります。
MITメディアラボ所長の伊藤穰一さんが好きな私は、彼の記事をしばしば読みます。タイトルが頭に残っていつも読み直してしまうのが、上で紹介した記事。
記事の中で印象的な部分をいくつか引用します。
コンピュータ・サイエンスをやっている学生が、「ちょっと行ってくる」と言ってスタンフォードでバイオロジーのPh.D.を取得し、またMITメディアラボに戻ってきて、遺伝子とコンピュータをつなぐ新しい研究を始めるといったことが日常的に行われているんです。
プランA、プランB、さらにプランZを持っておくことが大切なんです。プランAというのは今やっている仕事、プランBは夢、つまり自分が本当にやりたいことです。日常の仕事をこなしながら勉強を重ね、プランBにリアリティが出てきたら、それに乗り換える。そのために、余暇は酒を飲んで終わるのではなくて、自分のバリューを磨いたり、勉強して知識やスキルを磨いておくことが重要になってきます。ただ、そうは言っても、プランBに乗り換えて失敗することもある。そのときに帰れる場所であるプランZを用意しておくことも忘れてはいけません。
この記事のおかげもあって、私は大学院進学を決意することができました。
フィリピンのPh.D 課程に在籍の友人の話
公衆衛生の修士号を取ろうと思った理由を書いた記事で話をしましたが、わたしは16歳の夏にフィリピンに短期交換留学に行きました。
そこで見た貧困をきっかけに、公衆衛生での人の健康への貢献に興味を持つようになりました。
短期留学は高校の同級生十数名と一緒でした。姉妹校のホームステイ先には、生徒ひとりひとりにホストブラザーがいました。
私の仲良い友人も一緒に留学にいきました。その友人のホストブラザーが、14年ぶりに日本にきたので、その友人と一緒に3人で食事をしました。
その中で思ったのが、「あぁ、日本人は努力の総量が足りない」ということでした。
フィリピン人のその彼は、
- 現在、Ph.D課程に在籍。
- 専門は、Disaster Management。
ここまで聞くと、ふむふむ学生なのか、という感じですが、
- 日曜日から金曜日までは、大学の講師をしているそうです。
- 土曜日に、自分のPh.Dコースの授業があります。
- 加えて、JICAなどから支援してもらっているリサーチプロジェクトを3つ抱えています。
プライベートは、
- 奥さんが1人、子どもが1人、さらにもうひとりを妊娠中。
とのこと。
Ph.Dまでの道のりは、長く、
- 大学卒業、マニラへ。
- マニラで飛行機のエンジニアをしながら、修士過程に通う。
- そして、エンジニアと修士課程をやりながら、リサーチプロジェクトも始める。
- リサーチの仕事が、エンジニアのお給料を上回るようになり、修士課程とリサーチの仕事に。
- 修士号取得後、地元にもどり、地元の大学で講師に。
話を聞いているだけで、タフな人生だなーと感じました。
繰り返しですが、日曜日から金曜日までが講師の仕事で、土曜日はPh.Dプログラムの授業を受講。リサーチプロジェクトに加えて、論文の執筆。
「子育てもしていて、いつリラックスするの?」と訊くと、
「日曜日の授業は15時に終わる。そのあと17時からミサに行って、家族で外食をして、家に帰ってみんなで歌をうたう。それだけがリラックス。」との返事が。
私がオンライン大学院と仕事を両立してた時期でも、週半日(土日のどちらかの午後)は、まるまるOFFでした。
それと比べると、彼は相当タフな人生を送っています。
日本の博士課程の人も、実は同じくらい大変なのかもしれません。
ただ、フィリピンのライフスタイルや生活水準を認識した上で、ここまで努力できるのは本当に尊敬します。
努力の総量
社会人になり、周りは勉強しない人が増えていきます。
家庭もあり、目の前の生活で精一杯。
ただ、世界では、ほんの少しの時間を見つけて、勉学に励む人もいます。努力し続ける人の成長には、努力しなければ追いつけません。
修士論文の審査待ちのフェーズで、改めて自分の努力の仕方を見直すきっかけを友人が与えてくれました。
11月9日までに、修士論文の結果が来るみたいなので、来週また更新します。
ちゃお。